5月度座談会御書

5月度座談会御書 開目抄(平成24年)我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば

我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし(御書全集234ページ7行目~9行目より引用)

上記の御文は、平成24年5月度の座談会拝読御書の範囲です。本抄の「我並びに~」の御文は、これまで何度も座談会御書としても学んできました。また、個人としては、朝晩の勤行の後、必ず声に出して心に期する御文です。

開目抄のポイント|5月度座談会御書講義に際して

今回の拝読範囲の開目抄のポイントは、以下、大聖人仰せの最極の生き方まことの時の2点かと思います。

経文に説かれる通りの実践で大難を勝ち越えられたのが師匠である日蓮大聖人です。その御本仏日蓮大聖人が、自らの実践を通して本抄で示されたことは、諸天の加護があるかどうかという次元を超えて、大難が押し寄せてきても不惜身命で広布の誓願を貫いてゆく中に最極の生き方があるということでした。

まことの時については、文末の記述をご参照下さい。
まことの時はわするるなるべし

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今回の開目抄の研鑽で、「開目抄」の【開目】とは、末法の一切衆生を救いゆく「日蓮大聖人」に目を開けとの意味であることを知りました。難と戦う弟子たちに、我が如く、我が存在に目を開きなさいということと拝察致します。師弟不二・師弟一体の仏法の極意を仰せのことと銘記して参りたいと思いました。

以下に、御文にそって、所感と決意を綴って参ります。

我並びに我が弟子

「私も、そして私の弟子も」との一方的でなく共にとの呼びかけに「師弟一体」の仏法の精神が表れている・・・時空を越えて、目の前の大聖人の呼びかけとして拝すべきと思いました。

疑う心なくば

何があっても信心を貫き、法華経に説かれる通りの民衆救済に行き抜くことが大切・・・何があっても、と、簡単にはいかない凡夫の浅はかさ。目標を定めた実践と弛まぬ唱題行が不可欠と改めて決意するところです。そのための題目。題目はゆめゆめ疎かにしてはなりません。

天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ

諸天の加護がないからと信仰を疑ってはならない。現世が安穏ではないからと嘆いてはならない・・・万人に共通する現実的な【難の側面】をお示しです。日々、生命力を強く強く。妙法にのっとった、リズム正しい生活を賢明に。

我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけん

三類の強敵と三障四魔の難に遭うことは経文の通りであり、その苦難や困難との戦いを通して自身の宿命の転換が可能となる。故に、難が起こった時こそ成仏の境涯を開くチャンスであると決めて、迷わずに信仰を貫いていくことである。そのように朝夕教えてきたのに、いざ難が起こると疑いを起こして皆が退転してしまった・・・師弟一体の道を歩み通せる人が現実に少ないということです。遭いがたき仏法との縁がありながら・・。仏法の厳しさを実感する御文です。

まことの時はわするるなるべし

凡夫は、種々の難に直面した時、ともすると疑いを起こして退転の心が生じます。しかし、「まことの時」とは、難に直面したその時にほかなりません。まことの時、すなわち、難と戦うべき、「大事な時」にこそ信心で立ち向かわなくてはなりません・・・まことの時は待つべき時ではなく、招き寄せるべき時。そのような信心に立つべきではないか。身が引き締まる思いです。