2月度座談会御書

2月度座談会御書 妙一尼御前御消息(2012年)法華経を信ずる人は冬のごとし

2012年2月度の座談会御書は『冬は必ず春となる』で有名な、妙一尼御前御消息です。自然界の春は冬の次に必ず訪れますが、私達、地涌の菩薩の使命の自覚という観点からは、『冬を必ず春にさせずにはおくものか』との一念が重要です。

妙一尼御前御消息の拝読範囲本文

『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候』(御書全集1253ページ16行目から17行目より引用)

妙一尼御前御消息の拝読範囲通解

法華経を信ずる人は冬のようなものである。冬は必ず春となる。昔より今まで、聞いたことも見たこともない。冬が秋に戻るということを。(同じように) 今まで聞いたことがない。法華経を信じる人が仏になれず、凡夫のままでいることを。 経文には「もし法を聞くことがあれば、一人として成仏しない人はいない」と説かれている。

語句の解説

若有聞法者無一不成仏(にゃくうもんぽうしゃむいちふじょうぶつ)

法華経方便品第2の文。「若し法を聞くこと有らば 一りとして成仏せざること無けん」(法華経138㌻)と読む。法華経を聞いた人は、一人も漏れることなく成仏するという意味。

妙一尼御前御消息(2月度座談会御書)のワンポイント講義

「若有聞法者無一不成仏」の法を聞くということについて。この「聞く」とは、師匠の教えを聞くという意味であり、求道心を強く起こして師匠を求めていく姿勢を示しています。

苦悩の中にあって、師匠を求めていく信心に立ったこと自体が苦悩に勝利した姿です。その心のある人は、既に春が始まっていることを確信したいと思います。

【参考サイト】
冬は必ず春となる i-Mobile携帯版
http://i-sgi.seo-kit.net/

冬は必ず春となるを実現する「観心の本尊とは」(日蓮大聖人の御本尊とは)

観心の本尊とは、私たち凡夫の胸中に本尊を観るということです。本尊を観るとは、我が身に本来具わる、御本尊の無限の生命力を涌現していくことです。そしてそれは、御本尊を明鏡にして、自他共の幸福を願って唱題することにより可能となります。

これに対して、一般の本尊観の『仏像を拝む』とは、自分以外の超越的な存在に救いを求めることです。仏と人とは別々のもので、仏とはおすがりする対象でしかありません。観心の本尊とは対極にある本尊観です。

日蓮大聖人の御本尊とは、民衆のため、民衆を幸福にする為の御本尊です。そして、地涌の菩薩の自覚に立った私たち創価学会員が広宣流布をなし行くための御本尊であることを深く確認したいと思います。

法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる

法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、とは、妙一尼御前御消息独自のフレーズですが、「法華経を信ずる人は」のフレーズを含む以下の御書がありましたのでご紹介します。

当体義抄(御書全集511ページ)より

の当体なりや、答う当世の諸人之れ多しと雖も二人を出でず謂ゆる権教の人・実教の人なり而も権教方便の念仏等を信ずる人は妙法蓮華の当体と云わる可からず実教の法華経を信ずる人は即ち当体の蓮華・真如の妙体是なり涅槃経に云く「一切衆生大乗を信ずる故に大乗の衆生と名く」文、南岳大師の四安楽行に云く・・

光日房御書(御書全集931ページ)より
釈迦仏の御宝前にして昼夜なげきとぶらはば争か彼人うかばざるべき、いかに・いわうや彼の人は法華経を信じたりしかば・をやをみちびく身とぞ・なられて候らん、法華経を信ずる人はかまへて・かまへて法華経のかたきををそれさせ給へ、念仏者と持斎と真言師と一切南無妙法蓮華経と申さざらん者をばいかに法華経をよむとも・・

御衣並単衣御書(御書全集971ページ)より

る仏なり、応化非真仏と申して三十二相八十種好の仏よりも法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給いて仏在世に仏を信ぜし人は仏にならざる人もあり、仏の滅後に法華経を信ずる人は無一不成仏如来の金言なり、この衣をつくりてかたびらをきそえて法華経をよみて候わば日蓮は無戒の比丘なり法華経は正直の金言なり、毒蛇の珠・・

十字御書(御書全集1,492ページ)より

蓮のつぼみ・雪山のせんだんのひらけ・月の始めて出るなるべし、今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし、影は体より生ずるもの・法華経をかたきとする人の国は体に・かげのそうがごとく・わざわい来るべし・・

上野殿母御前御返事(御書全集1,569ページ)より

代を切り捨て大塔は候なり、足代と申すは一切経なり大塔と申すは法華経なり、仏一切経を説き給いし事は法華経を説かせ給はんための足代なり、正直捨方便と申して法華経を信ずる人は阿弥陀経等の南無阿弥陀仏・大日経等の真言宗・阿含経等の律宗の二百五十戒等を切りすて抛ちてのち法華経をば持ち候なり、大塔をくまんがため・・