5月度座談会御書

5月度座談会御書 呵責謗法滅罪抄(平成26年)何なる世の乱れにも各各をば

平成26年5月度の座談会拝読御書は「呵責謗法滅罪抄(かしゃくほうぼうめつざいしょう)」です。不可能を可能にする強盛な祈りを教えられた日蓮大聖人の御心を拝して参りたいと思います。

呵責謗法滅罪抄の背景と大意の概略

呵責謗法滅罪抄は、文永10年(1273年)に日蓮大聖人が流罪の地である佐渡から、鎌倉の信徒の中心者であった四条金吾に送られたものとされています。鎌倉幕府は、日蓮大聖人ご本人を流罪にしたばかりか、その門下に対しても、激しい迫害が加えられ、多くの信徒が退転していきました。

このような中、女性門下等の中には、かえって強盛な信心を貫いている信徒があり、この様子に感涙抑えがたい、と綴られています。

そして、このような、まことの時に信心強盛な門下に対して「不可能を可能にする」祈りで、法華経・諸天善神の絶対の加護を祈念している、というところが、今回の拝読範囲です。

また、呵責謗法滅罪抄では、宿命転換の原理について触れられています。

題号のごとく、謗法充満の国土で謗法を責めて法華経を流布していけば必ず大難が起こる。しかし、大難と戦い広布を貫いていくことで、過去無量劫にわたって積み重なった重罪を、この一生で全て消していける。これが「宿命転換の原理」です。

呵責謗法滅罪抄 拝読範囲の本文

『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり(御書全集1132ページ10行目~11行目より抜粋)』

呵責謗法滅罪抄 拝読範囲の通解

『どのように世の中が乱れていても、あなた方のことを「法華経、十羅刹女よ、助け給え」と、湿った木から火を出し、乾いた土から水を得ようとする思いで、強盛に祈っているのである』

呵責謗法滅罪抄 拝読範囲の講義

唯一、「祈りとして叶わざるなし」の御本尊と信心を弘めていく折伏・仏法対話というのは、根本として、これ以外のものを人生の本尊とする人たちの「謗法」を責める戦いです。故に、必ず難が起こり、この難との戦いに勝利しなければなりません。

難とは、また、大難とは、折伏する相手からの強い反発だけでなく、それ以前に、弱気になりがちな自身との戦いが大きいことは言うまでもありません。

故に池田先生は、「『祈りとして叶わざるなし』という大確信を、断じて忘れるな!と申し上げたい。これが、信心である」と言われています。

そして、この大確信を鼓舞するものこそ、異体同心の信心修行であり、師弟不二の信心です。

『総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり(生死一大事血脈抄・御書全集1337ページより抜粋)』と大聖人は仰せです。

異体同心の信心は信心の血脈の根本であり、御本仏が弘通される仏法の究極であると仰せです。この御心を我が心とすることこそ、師弟不二の信心と言えましょう。

日蓮大聖人の御心を戴した創価学会の信心。それは、起こりえない難を呼び起こす故に、自身の人生にも劇的な変化が訪れます。『祈りとして叶わざるなし』の大確信を抱くところ、それは実にドラマチックな人生です。

異体同心の信心について、池田先生は「仲良く、仲良く」と、再三にわたりご指導されています。広布の庭で仲良く、共々に、師弟一体の祈りでドラマチックな人生を勝ち拓いて参りましょう。